「たっだいま〜! 大佐ぁ〜ファンネルの調整は順調ですか〜?」
「……」
「あれ、どうしたの? ビデオ持ったまま寝ちゃたの?」
「つ、使い方が分からん……」
「えっ!?」
 思えばビデオなる存在は知っているものの、現在に至るまで実際に使用したことは一度もなかった。恐らくこのビデオテープをビデオデッキなるものの挿入口に入れれば良いのだろう。
 しかしその次が分からない。どうやれば再生出来るのか、それさえも分からない。分からないならば試すのが最良の策である。
 だが、このテープ並びにデッキは霧島家のものだ。再生に失敗して壊しでもしたら、例えファンネルの操作に成功したとしても破損の賠償で相殺され、下手をすれば永遠に飯にありつけなくなる可能性がある。
 よって当家の者共が帰宅するまで見ぬが得策であろうと思った。されど、このテープの中にはファンネルの操作の参考になる映像が収められている。現時点では成就はし難い、このテープに収められている映像を見ねば大願成就ならぬであろう。
 破損を怖れるならば見ぬが得策、ファンネル操作成就の為には見るを強行せねばならない。この2つの葛藤が攻めぎあい、解決の糸口が見えず、次第に私はその重圧に押し潰されて今の状態に至った。
「今時ビデオの操作が出来ないとは物珍しいな。学会に発表すれば喝采の的になるな」
 頼むから人を研究材料のようには扱って欲しくないものだ。使い方は知らずとも存在は知っているのだ。少なくともその時点で未文明人よりは高い位置に存在している筈だ。発表するならば未文明人を是非対象にしてもらいたいものだ……。


第四話「文明といふもの」

「では今夜は逆シャアの上映会と行こう」
 夕食後、霧島女史の提案により例のビデオの上映会となった。操作の仕方が分からぬのでその対処は評価するが、周りが私以上に楽しんでいるので、単に自分達が見たかっただけなのかもしれない。
「むっ、これは……」
 物語が始まってすぐ、私は画面に吸い込まれた。広大な宇宙を舞台に繰り広げられる巨大ロボット同士の戦闘、圧倒的な躍動感、唸る兵器、それにより撃墜され爆音と共に宇宙に散るロボット。アニメーションというものに殆ど縁のなかった私にとっては、その全てが新鮮だった。
 私の中でのアニメーションというのは米国のディズニーやドラえもんなどの子供向けというイメージしかなかったが、この迫力は米国の特撮映画に充分対抗可能だと評価出来る。
 作中序盤ではファンネルという言葉は出たものの、どのようにそれを使用しているかの説明はなかった。しかし、序盤でそれなりの収穫はあった。
 ニュータイプ、この言葉の説明が為されていたのだ。作中で一人の少年と少女が語っていたのを要約すると、ニュータイプというのは人が宇宙に出た事により人間が地球上では半分位しか使っていなかった脳の機能が刺激され、それにより認識力が飛躍的に発達した人類を指す言葉だという。
 成程、言われてみれば宇宙空間は地球上とは違い重力がなく、その為上下左右などの概念がなく、正に「浮いている」状態になる。そのような環境で生活を営み何世代か経ち、重力がないのが当然の世界で生まれ育つ人間が現れれば、確かに地球上で生まれ育った人間とは差異が生じてくる可能性もあるだろう。
 そして物語が進むにつれ、ようやくファンネルの具体的な使用方法が語られている場面に出くわした。作中の描写から推察するに、ファンネルという武器はニュータイプ専用の武器で、対象物を頭の中に思い描きその対象物に向かって動くようにとファンネルに”想い”を込める。そうすることにより始めてファンネルという武器は動き出すようだ。
 成程、確かにこれまでのファンネルの使用方法を見ていると私の法術による人形芸と類似する点は多い。動かす物に”想い”を込めるという点では正しく同じである。あとはその違いを見極めれば、私にも模型のではあるがファンネルを動かせるだろう。
 それにしてもこの作品、当初は戦闘シーンに魅入っていたが、人間描写にも惹かれる所が多い。特に隕石落下に伴う地球冷却化を画策するネオジオンの総帥、シャア=アズナブル。声は佳乃嬢の言うように私と同じ雰囲気であるこのキャラクター、地球冷却化する目的には同感出来る部分は多い。
 しかし、その裏には「アムロ=レイという男にララァという女性が殺されたから」という私的な感情も混ざっていると、ある登場人物は言う。
 「地球が持たない時が来ている」、「人類をニュータイプに覚醒させなければならない」という公的な心に、「終生のライバル、アムロ=レイと決着をつける」、「ララァ=スンを殺した男に言えることか」という私的な心が同時に渦巻いているシャアという男。公私混同した思想で地球を冷却するというのは甚だ不謹慎ではあるが、人間らしいと言えば人間らしい。その辺りが、この男が作中において最も惹かれる人間である所以だったりする。
 物語は終盤に差し掛かり、アムロとシャアの対決を経て、”人の想いの塊”により、アクシズという小惑星を地球に落下させるのを阻止して幕を閉じた。シャア=アズナブルが最後に言った言葉、「ララァ=スンは私の母になるかもしれなかった女性だ」。この言葉がいつまでも忘れる事が出来ない言葉として何故か私の脳裏に焼き付いた。



「ふう……」
「どうだったね鬼柳君?」
 上映会が終わり黄昏ている私に、霧島女史が茶を差し出してきた。
「何というかアニメーションの底力というものを知ったな。これだけのものならば世でそれなりの評価を受けているのも納得が行く」
 茶を飲みながら私は素直な感想を述べた。アニメといえばディズニーやらドラえもんやらしか連想の出来ない私にとってはカルチャーショックと形容出来るものだった。
「世に言う3大ブームアニメ……、ヤマト、ガンダム、エヴァンゲリオン。その中で一番息の長いのがガンダムだと言えるだろうな」
「その根拠は? 高名な霧島女史ならばそれなりの論拠があるのであろう」
 ヤマトにエヴァンゲリオン、名前は聞いたことがあるが無論実際には見たことはない。ヤマトは私が生まれる前のアニメであり、エヴァンゲリオンは数年前新聞などで話題にされていたアニメだ。
 その時霧島女史の説明のようにエヴァンゲリオンなるアニメーションがヤマト、ガンダムに続くブームを引き起こしているというのを知り、同時にヤマトとガンダムというアニメの存在を知った。
 ブームというのはバブルのようなもので、一時的な盛り上がりをみせるものも次第に弾けるものだと認識しているが、先程の霧島女史の言動ではまだガンダムというアニメのブームバブルは弾けていないという印象を受けた。
 実際の物はガンダム以外は目を通したことがないので、私には霧島女史に意見する判断材料が見当たらない。故に論拠を直接聞くのが良策であろうと思い、質問した次第である。
「そうだな……。まず言えるのは続編の数という所だな。ガンダムは俗にいう『ファースト』に続き、同時間、同時代枠での『Z』、『ZZ』などがあり、また、時間枠や時代枠の異なる『G』や『W』がある。それに比べヤマトは続編にあたるものはあるものの同時間、同時代枠のしかなく、その数もガンダムに比べて少ない。エヴァンゲリオンに至っては続編が出る気配すらない」
「成程、つまりは息の長さ=続編の数という訳か」
「まあ、そういう事だ。ところで肝心の中身の方はどうだったかね?」
「中身云々の前に一つ誤解を解いておかなくてはならないな。作中で『ニュータイプ』というのは人の革新だと言っているが、私の法術は代々我が家系に伝承されていたもので、私が革新した人類だから使えるわけではない」
「そうだったのか、てっきり私は君がニュータイプに目覚め始めているからあのような芸当が出来るものだと思っていたが……」
 期待に沿えなくて申し訳ないとも思うが、この力はどちらかと言えば忌嫌われる力であろう。科学が発達していない時代では「魔力」、魔の力だと恐れられ、科学万能の現代においては巧妙な手品でしかないと嘲笑される代物だ。
「しかし、それはそれで新たな興味が湧くな」
「ほう……」
「つまりは君の『法術』というのが、人の失われた力であるかもしれないということだ」
「失われた力だと……?」
「そうだ。仮に超能力というのが嘗ては秀でた人間なら誰でも使えたものだとしよう。それを前提として、テレパシーというものが鍛錬すれば誰にでも身に付けられるものだと仮定する。そしてテレパシーは素質のある者ならば一度に何人もの人にテレパシーが送れるが、素質のない者は10メートル離れた人に送るのがやっとだったりする。
 こういう超能力は魅力を感じる人が多いものだが、生活面で考えれば個々の能力に頼る所が大きく、社会全体を構成するには非効率だ。それならば携帯電話で電話をかけたりメールを送ったりする方が万人がそれなりに同じレベルで扱えることから、余程効率的だ」
「成程。ところで一つ聞きたい事があるのだが……」
「何だね?」
「メールとは一体何なのだ? よく名称は聞くが、『手紙』を英訳した言葉と携帯式の電話にどういった接点があるのだ? もしや電話で話した文章が音声式で手紙に書写させられるのか?」
 刹那、周囲に寒々とした空気が流れた気がした。
「そ、それはだな……。佳乃、済まないが説明してくれ……」
「はぁ〜い。今取ってくるからちょっと待っててね」
 何を取ってくるのか分からないが、恐らく携帯電話とメールなるものの接点になるものなのだろう。それを取りに佳乃嬢が居間から退出した。
「それにしても女史が説明を妹に任すとは、ひょっとして女史もよく知らんものなのか?」
「わざわざ私が説明するまでもないと思っただけだ」
 具体的には述べていないが、今の発言は暗に私を嘲笑したと理解して良いだろう。
「メールも知らないだなんて、貴方戦前の日本人? それだけ情報戦認識が低いなら、いくら精神で勝っていても米英と100回戦争をやっても勝てないわよ」
 真琴嬢は真琴嬢で、こちらは暗喩どころか挑発的に私を嘲笑している。普段電話など必要のない生活を営んでいるので、知らないことは別に恥ではないと思うが。例え常識であっても必要のない知識を詰め込む余裕は私にはない。
「持って来たよ〜。いい大佐、メールっていうのはねぇ……」
 まるで子供をあやすかのようにメールの機能を丹念に説明する佳乃嬢。それにしても、説明を聞いている内に現代文明の飛躍的な進歩に驚かざるを得ない。このような通常の受話器よりも小さい電話で相手と話をする事が出来、更にはメールというのまで扱えるのだから。通常の受話器より小さい上にその機能は遥かに高性能だというは脱帽の感さえある。
 もし60年前にこの技術があれば米英などに負けはしなかっただろう、それが悔んでならない。戦前の日本はとにかく情報戦に弱かった。開戦の意図やミッドウェー海戦の策謀に至るまでありとあらゆる情報は米に筒抜け、”白色”の釈迦の掌で踊らされていた”黄色い”孫悟空と形容出来るだろう。
 その敗戦の禍根がこうまで技術を進歩させたのか、もしそうならばレーダー不備の零戦に乗って戦い、レーダー完備の米艦船の対空砲火に散って逝った英霊達もさぞお喜びになる事だろう。
「話を戻すが、そうやって文明の利器の方が超能力よりも効率的に扱えるならば、超能力は必然的に衰えるだろう。つまりは文明の発展に反比例して超能力が衰退して行くということだ」
「ふっ、ならば私は時代に遅れた人類ということか……。それでは私はニュータイプではなくオールドタイプだな」
「そう悲観的になることもあるまい。私はそんなに悪いことではないと思うぞ? 寧ろ何故『法術』が現代まで残っていたか興味がつかないな」
 何故、法術が使えるのか? それは単に母から教えてもらっただけだとしか答えないだろう。実際の所、何故このような力が使えるのか私にも分からない。霧島女史の仮定に従うならば、私に人一倍の素質があったからなのだろうか?
 現にこのような力が存在しているならば、その存在にはそれなりの意味があるのだろうか……?



(さて、そろそろ試してみるか……)
 私は与えられた寝室に行き、蒲団に就きながら暫く考え事をしていた。劇中におけるファンネルの操作方法は充分参考になった、後はどうやって模倣するかだが腹は既に決まっている。
「さてと。あのごん狐めは何処にいるのだ?」
 模倣をするにあたって私はあの子狐を探した。ファンネルは使用するにあたって目標物を必要とする。別に動いている者でなくても良いのだが、出来るなら自分が感情を入れられるものの方が良いと思い、探している次第である。
「ふふ、見つけたぞごん狐め」
 外で寝ているものだと思ったが、生意気にも犬畜生の分際で人様の住居の居間ですやすやと眠っていた。
「私鬼柳往人が、ごん狐を粛正するというのだ! 行けっ、ファンネル!!」
 この己の身分をわきまえない子狐に裁きの一撃を与えたい。その思いを居間においてあったロボットに込め、背中に搭載されているファンネルを動かそうとした。
「あ、あうーっ、あうーっ!」
 思いは通じ、ファンネルは動き出した。全部で6機に至るファンネルは空中を弧を描くように舞い、気持ち良さそうに眠っていたごん狐に命中した。当然のようにごん狐は起きだし、チクチクと当たるプラスチックの塊にまるで頭を抱え込むかのように慌てふためく。
「苦しいか? ならば今すぐに人間の言葉を喋ってみるのだな」
 無論そのようなことを言ってもこの狐には通じるわけはなく、ましてや人間の言葉を喋れるわけはないだろう。故にこの攻撃は私が飽きるまで止まることはない。
(う〜、いまにみてろよ〜〜)
「ん?」
「一撃粉砕! 鉄拳制裁! ティィィリンク・ナッコォォォ――!!」
「なべろっ!」
 一瞬ごん狐が私に話し掛けたかと思ったが、それを確かめる間もなく私は強烈な衝撃で居間の壁際まで吹き飛ばされた。
「痛……何だ今の一撃は!?」
「まったく、ようやくそれらしい気配を感じたと思ったら、自分より弱い者を虐めてお山の大将気分にひたっているとはねえ……」
 頭に降り積もった壁の欠片をほろいながら体勢を整える。衝撃の主は大方の予想通り真琴嬢であった。
「ふあぁ〜。なぁに〜今のおっきな音は〜」
「あう〜〜」
 私が壁に激突した音で目が覚めたのか、佳乃嬢が起きだして来た。するとまるで親にでも寄りすがるかのように、ごん狐は佳乃嬢の胸元に抱き付く。
「お〜よしよし、大佐に粛正されていたんだね〜。ダメだよ大佐ぁ〜ロコンは愚民じゃないから粛正しちゃダメだよぉ〜」
 ならば愚民ならば粛正しても良いのかと突っ込もうかと思ったが、警察沙汰になるような失言をするわけには行かないので沈黙を続けていた。
「しかし狐を家の中で飼うとは、随分と物珍しき行為よ……」
「別に珍しい事ではないぞ。最近はペットも多種多様化しているしな。世の中にはワニやゴキブリを家で飼っている者もいるのだから。寧ろ家の中でペットを飼う事を不思議がる人間の方が珍しいぞ?」
 いつの間にやら霧島女史も目覚めており、学者肌全開で論説を始めていた。
「私は定住という概念がないのでな。しかし、このような人間が生きる事を前提に建てられた空間で他の動物が営むのは、その者に多重のストレスを与えるのではないか?
 私が言いたいのはそれだ。人間の都合で動物に望まぬ生活環境を強制させるのはエゴだということだ」
 ペットを自宅で飼うのがそんなに普及しているとは知らず反論の余地がなかった。故に私は論点を摩り替えた。私は別に人間が自然を破壊して自分達の住処である”街”を造るのは悪いことではないと思う。
 確かに街を造ることにより自然や他の動物達の生活圏は破壊される。しかし己等の生活圏を求めるのは生物として当然の行為であり、人類という生命体が地球全体を覆う程までに増殖したのなら、それに比例し生活圏が地球全土に広がるのは自然の成行きである。
 だが、それにより人類があたかも地球の支配者になったかの如き態度を取っているのは気に入らん。人がその住処を周りの環境を無視し、過剰なまでに防衛力を高めた無機質な建造群を建立するのは、自然を畏怖しその身を自然の脅威から守ろうとする弱さの表れと言えるかもしれない。
 しかし、自分が飼いたいという理由で、他の生物を自然的な側面を完全に破棄した人の住処に住まわせるのは如何なものか?
 元々人の住処というものは、人間のみが生活を営むことを前提に造られている。つまりは万物が多種多様に生存出来るように創られている地球の自然環境とは違い、人間の住処というものはヒトという僅か1つの生命体のみが生存することを前提に造られているということだ。
 そのような理由から、ヒト専用の空間に、個人の趣味という独断と偏見で他の生物を住まわせるのは人間のエゴではないかと思うのである。
「成程、君の言うことも一理あるな。確かに住居というのは他の動物が住み易い環境に造られている訳ではない。また、それにより猫が汚い足で外から帰って来て家の中が汚れたなどの不都合が生じるのは必然だが、それをその猫のせいにするのは人間の自分勝手としか言いようがないな。
 しかしだ、己の苛立ちや怒りなどの感情の捌け口を狐にぶつけるのも人間のエゴとは言えないかね?」
「くっ……」
 客観的な視点から見れば、つい先程自分が行っていた行為は自分勝手な行為だろう。腹が空いていて気が荒くなっていたからそのような行為に走ってしまった。
 だが、その行為は他人から見れば己の負の感情をぶつけているようにしか見えないだろう。
「それにだ、ロコンは自らの意思でこの家に住んでいるのだよ」
「根拠は?」
「それは佳乃に聞くのが早いだろう。そういう訳だ佳乃、鬼柳君にロコンが自らこの家で住んでいる理由を……」
「佳乃さんなんらとっくの昔にロコンを抱いて部屋に戻ったわよ」
 しかしそこに佳乃嬢の姿はなく、いたのは真琴嬢のみであった。
「おや、部屋に戻っていたのか。議論に熱中していた為に気付かなかったな」
「それで、真琴嬢は何故にこの場に残っているのだ」
「今みたいに佳乃さんや私に議論を振りかけようとして誰もいなかったなら空しいでしょ」
 要約すればツッコム人間がいないと寒いからということであろう。その為だけにわざわざこの場に残っていたとはご苦労なことだ。
「じゃあ私も寝るわね。それから聖さん、彼はファンネルを使っていたわよ。彼、空腹で苛立っていたからロコンに八当たりしていたと思うの。じゃあね、お休みなさ〜い」
 何気に私がファンネルを使えるようになったことを霧島女史に報告する真琴嬢。いつも私に命の損失に関わる程の強烈なツッコミを入れる彼女が、まるで私に気を遣っているみたいで少し意外な感じである。
「実際に見ていないから判断は出来ないが、相沢君が言うのならば成功したのだろうな。まずはおめでとう鬼柳君。私がその現場に立ち会えなかったのは残念だが、約束は守らねばな。で、何が食べたい?」
「そうだな……。とりあえずこの地方で一番有名なものを口にしてみたい」
「そんなもので良いのか? では今持って来るぞ」
「しかし学者肌の霧島女史が自分の目で確かめたわけでもないのに、よく他人の証言のみで信用するものだな」
「彼女は父の知人の子の彼氏の義理の妹だからな」
 そう答えると、霧島女史はそのまま遠野の名物を取りに居間を後にした。
「そこまで関係が薄いとまるっきり赤の他人ではないか……」
 まるで舌を噛みそうに複雑な霧島女史と真琴嬢の関係、あまり信用に値する関係には思えない。私ならば完全にそのような関係の者の言う事など信用しないであろう。
「さ、持って来たぞ鬼柳君」
「ん…これは何だ…?」
「君の希望通り遠野の名物だ」
「ビールだと…?」
 霧島女史は持って来たものを私の眼前に出してきた。そのものを見て、私は一瞬自分の目を疑う。目の前にあったのは食べ物ではなく、何故かビールであった。
「知らないと思うが、遠野はホップの生産が日本一なのだ。故に口に出来るもので一番有名なのはそのホップを使ったビールという訳だ」
 語彙の選択を誤ったと思った。「口にしたいもの」ではなく「食物」と言えば何かしらの食い物に有り付けただろう。しかし口に出来るものという説明では、ビールも充分にその範疇だろう。以後語彙の選択は慎重に行う事を決意した。
「まあ、ビールだけでは物足りないと思って摘みも用意したぞ」
 しかしビール自体暫く飲んだ記憶がないので、素直に行為を受ける事にした。
「では有り難く頂こう」
 ゴクッ…ゴクッ…。目の前に出されたビールを霧島女史が摘みと共に運んで来たコップに注ぎ、勢い良く飲み出す。苦いホップの香が喉を通り私の体内に注ぎ込まれる。
「ぷはぁ〜〜」
 久し振りに感じる喉越しのこの快感、悪くはない。
「どうだね、物事を達成した後に飲む一杯は?」
「最高だ。他に形容する言葉がないな」
 7月初旬の比較的涼しい夜に飲むビール、これ程までに美味いものとは思わなかった。
「そうか、それは良かった……」
 産地直産なのもあり、このビールは今まで飲んだどのビールも太刀打出来ない程の美味さだった。私は聖女史が用意した摘みを食べながら計3本分のビールを飲んだ。
「ふう…飲んだ飲んだ…ヒック!いかん…空きっ腹に酒を入れただけあって酔ひの回りが速ひな…では私はそろそろ床に就く…。美味ひビール、恩に着るぞ霧島女史…ヒック。しかし、私が飲み食いしてゐる間、女史の目は終始私の方を向ひていた気がしたのだが…」
「フッ…少し昔を思い出しただけだ…。もう7月だから大丈夫だとは思うが、風邪をひかないように気を付けて眠るのだな」
「ああ……」
 霧島女史が昔の何を思い出したのかは気になったが、酔いが回った頭ではロクな思考も出来ず、私はそのまま与えられた寝室に向かった。
「ヒック…とりあへず飯の保証は出来た事だし、明日から周辺の探索に出掛けるか……」
 いよいよ遠野での本格的な探索が出来る。ようやく自分の本来の目的に戻れる事を嬉しく思いながら、私は酔いに助長され深い眠りへと入っていった…。


…第四話完

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